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東京高等裁判所 昭和45年(行ケ)7号 判決 1975年12月16日

原告

笠井輝文

右訴訟代理人

村井禄楼

被告

高等海難審判庁長官

保田立男

右指定代理人

奥平守男

外四名

主文

原告の本件訴中高等海難審判庁が同庁昭和四三年第二審第一四号機船日尚丸、機船豊国丸衝突事件について昭和四五年一月一四日言い渡した裁決のうち本件衝突は原告の運航に関する職務上の過失に因つて発生したとする部分の取消を求める部分を却下する。

原告のその余の部分の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

一、原告

高等海難審判庁が同庁昭和四三年第二審第一四号機船日尚丸、機船豊国丸衝突事件について昭和四五年一月一四日言い渡した裁決中原告に関する部分(本件衝突は原告の運航に関する職務上の過失に因つて発生したとする部分及び原告の甲種一等航海士の業務を一箇月停止するとの部分)を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

主文同旨の判決。

第二、当事者双方陳述の要領<以下略>

理由

第一本件訴中裁決第一項前段に対する部分の適否の判断

原告は高等海難審判庁のした本件裁決中原告に関する部分の取消を求めるところ、右部分は、本件衝突は原告の運航に関する職務上の過失に因つて発生したとする第一項前段と、原告の甲種一等航海士の業務を一箇月停止するとの第二項とから成り、右第一項前段は本件海難の原因を明らかにするもので、それ自体原告の権利義務に消長を来たすものではないから、原告はこれに対して取消の訴を提起することができず、右部分に対する訴は不適法として却下すべきである(最高裁判所昭和三六年三月一五日大法廷判決、民集一五巻三号四六七頁参照)。もつとも右第一項前段の本件衝突は原告の過失によるものとするところは、第二項の原告に対する懲戒の前提をなし、両者は深く関連しているものであるから、右第一項前段の取消を認めないからといつて、裁判所は第二項の原告に対する懲戒の当否を判断する前提として当然原告の運航に関する職務上の過失の有無を判断すべきであり、またしうべきであつて、その場合裁判所は裁決の認定に拘束されることなく、その限度で裁決認定の当否を判断しうるものである。したがつてこれによつて行政不服審査の範囲を限定するとの非難は当らない。

第二本案の判断

被告が原告に対し、その主張のごとき理由により、本件裁決をしたことは当事者間に争いがない。

一、原告は、被告が本訴において裁決の理由と異なる理由により裁決の正当性を維持しようとすることは許されないと主張する。

よつて按ずるに、海難審判法は海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、以てその発生の防止に寄与することを目的とし(同法一条)、海難審判庁は海難の原因について取調を行い、裁決を以てその結論を明らかにし、海難が海技従事者又は水先人の職務上の故意又は過失に因つて発生したものであるときは、裁決を以てこれを懲戒するのであり(同法四条一、二項)、裁決には海難の事実及び原因を明らかにし、かつ、証拠によつてその事実を認めた理由を示さなければならない(同法四二、四三、五二条)とされているところ、その目的を達成するため海難審判手続により理事官の審判申立に基づき海難事故当事者双方を関与せしめて公開の審判廷で行う(同法三五、三六条)こととされ、その限度で対立当事者間における争訟的手続によつて真実発見を容易にし、慎重審議のうえ裁決がなさるべきこととしているのであつて、その形態は裁判所における訴訟手続に類似はするけれども、その本質は行政処分であることは明らかである。したがつて一般の行政処分に対し取消訴訟が提起された場合に当該行政庁は法律上特段の制約のない限り当該行政処分の理由となつた事実以外の事実を主張してその維持をはかることが許されると同じく、裁決の取消しを求める訴訟が提起された場合でも、原告は審判手続において提出しなかつた攻撃防禦方法を主張することができる反面、裁決庁も裁決の理由以外の理由を主張して、当該裁決が維持さるべきものであることを主張することを妨げられるものではない。もつとも裁決の理由となつている基礎たる事実と実質的に全く異る事実を主張することにより、裁決の根拠とされた法規もまたこれを異にすることとなるような場合には、仮りに結論において同一に帰着する場合であつても、裁決としては別個のものと観念すべきであり、当該審判を無にすることとなるのみならず、懲戒を受けた当事者の利益をいちじるしく害することともなるから、かかる場合には右のごとき理由を主張することは許されないと解すべきである。本件裁決の基礎となつた事実は豊国丸が日尚丸の進路を横切つた関係にあり、ひいて原告に過失ありとするものであるところ、被告が本訴において主張する事実は、日尚丸の進路及び衝突地点について裁決の認定した事実と若干相違してはいるが、右の基礎となつた事実の同一性を損うものではなく、またこれにより、本件裁決の根拠法規とされたものと異なる別個の法規に基づきその正当性を主張するものでもないことが明らかであるから、被告が裁決の認定と異なる右の程度の事実の主張をすることは許すべきである。原告は当初から日尚丸の進路と衝突の地点及び時刻との関係が裁決認定のとおりであるとすることの矛盾をつき、そのままではそこに五〇余分間の空白の生ずることを指摘したものであつて、この指摘はきわめて適切であつたので被告はその不合理に気付き前記のとおりその主張を訂正したものであることは本件訴訟の推移に徴して明らかであり、この点は実は海難審判の第一審以来争いのあつたところで、右主張にそう証拠もなかつたわけではないが、本件裁決はとくに日尚丸の途中の進路の詳細はともかくとしても本件衝突前後の大筋は動かないものとして結論を導いたものであること、原告は自ら受審人として審判に立会し這般の次第は了知しえたものというべきこと記録上明らかであつて、以上の経緯にてらせば本訴において被告に右主張の変更を許すこことがいちじるしく原告の防禦権を害することとなるものとすることもできず、またこの主張の変更が信義則に反するものということもできない。

二本件事故発生に至るまでの両船の針路航行状況について。

(一)  日尚丸の航行状況。

<証拠>を綜合すると、

(1) 日尚丸はナホトカから福島県小名浜港へ至る航行の途中、昭和四一年一二月一三日二〇時五四分ころ(以下において時刻はすべて、二〇五四のごとく略記する)速力約10.5ノツト、針路二〇一度(以下三六〇度分法で示すものは真方位、その他は磁針方位をいうものとする)にて金華山灯台を二八八度約四海里に通過南下し(この点は当事者間に争いがない)翌一四日○○○○ころ、松川浦港灯台(鵜ノ尾灯台)を二八七度約二〇海里に望む地点において、北西からの風浪を避けるため予定針路を少し陸寄りに修正し、坂本船長が海図上に記したコースにしたがつて二五〇度に転針し、〇一三〇ころ再び一八〇度に転じ、〇五〇八ころさらに塩屋埼埼灯台を右舷正横二七〇度約六海里に望む地点から、小名浜検疫錨地付近に向けて二三〇度に三たび転針約10.5ノツトで航行中、〇五四五ころ本件海難事故が発生したものである。

以上の事実を認めることができ、前掲各証拠中右認定に反する部分は採用せず、他にこれを左右するに足る的確な証拠はない。

本件裁決では金華山沖通過後転進の事実を認めず、速力約一〇ノツトで二〇一度のまま直進し、〇五二八ころ塩屋埼灯台を右舷正横二九一度約三海里四分の三に並航して二三〇度変針したというのであり、右認定のごとき転進の事実についての坂本船長の前記各証拠中の供述記載は必ずしも判然とせず、同船航海日誌の記載も適切妥当なものとはいい難い点がある。しかし苗代一等航海士、木原甲板手の前記各調書中の供述記載及び証人荒木健夫(日尚丸二等航海士)の証言に、当時日尚丸使用海図とその鑑定結果をあわせると、日尚丸の辿つた航跡を被告主張のとおり前記のごとく認定することを妨げるものではない。

(二)  豊国丸の航行状況。

<証拠>を綜合すると、

豊国丸は宇部から青森へ至る航行の途中、同年一二月一三日一九三〇ころ犬吠崎を正横に通過したのち、北四分三西の針路をとり○○○○ころ磯崎を約13.8海里、大洗岬を約一三海里に望む地点を経て速力約八ノツトで航行し、〇一三〇ころ磯埼沖約七海里に並航し、同地点から北東微北二分の一北の針路をとつて右速力で進行し、〇四〇〇ころ大津岬の手前約四海里、塩屋埼の手前約一六海里に達し、そのままの針路で航行中本件海難事故が発生したものである。

以上の事実を認めることができ、前掲各証拠中右認定に反する部分は採用せず、他にこれを左右するに足る的確な証拠はない。

前記両船の針路及び航跡については別紙第一図<略>に示すとおりである。

三本件事故発生の状況について。

(一)  衝突地点。

甲第一号証の一(日尚丸海難報告書)によれば、塩屋埼灯台から一四八度、四海里の地点とされ同号証の二(豊国丸海難報告書)によれば、同灯台の南方六ないし七海里とされていること、前顕甲第一号証の四、第二、第三号証の各一によつても、今崎船長及び原告の両名はいずれもそれぞれ右同様の供述をなし、また、豊国丸は衝突後沈没の危険がせつ迫し到底小名浜港まで行けないので、最寄りの中之作に向つた旨供述していること、証人荒木健夫は同灯台から、一五七度、約3.5海里の地点附近を、衝突地点として述べていることまた、前認定のごとき両船の針路及び速力との関係からその航跡を辿ると衝突地点は別紙第一図面記載の被告主張のごとく塩屋埼灯台からおよそ一五八度、約4.5海里付近の海上であつて、その時刻は〇五四五ころと認めるのが相当である。

(二)  衝突状況。

<証拠>を綜合すると、

既述のように日尚丸は〇五〇八ころ小名浜検疫錨地に向け、塩屋埼灯台を右舷正横約六海里の地点で二三〇度に転針し、速力約10.5ノツトで航行中、〇五三〇ころ、当直者苗代一等航海士は入港三〇分前を機関室に伝えるよう木原甲板士に指示し、操舵を自動から手動に切り換えたところ、左舷船首ほぼ一点4.5海里ばかりに豊国丸の白白緑三灯を初認したが、両船相互の進路の関係上同船が自船を避けるものと考え、同船の動向を注意しながらも自船の進路及び速力を保持しつつ続航しているうち、〇五三九ころ同船が転舵する気配もなく進行してくるので注意喚起のため長声一発気笛をならした。しかし同船は依然進路を変えず、〇五四三ころ左舷船首ほぼ二分の一点五〇〇米ばかりに両船の距離が迫つて衝突は必至の態勢となつて事の重大性に気付き、急拠面舵一杯、機関停止、全速後進を令したが及ばず、〇五四五ころ、約五〇度右転したとき船首が豊国丸の船首楼右舷側後部に衝突し、さらに両船舷側が接触した。

一方、豊国丸は〇一三〇ころ磯埼灯台を左舷側約七海里に通過後、針路を北東微北二分の一北(約二一度)速力約八ノツトで進行中、当直者である原告は主として〇五三〇ころ以降左舷の陸岸に塩屋埼灯台その他の灯火が見えるはずであるとしてこの方に注意を奪われ、右舷側方向に対する監視を怠つたため〇五四五少し前になつて、はじめて右舷正横前の方向至近の距離に迫つた日尚丸を発見し、驚いて左舵一杯、機関停止、全速後進を令したが及ばずその直後前示のごとき状態で衝突した。

右両船が前認定の針路で衝突地点に進行すれば、その針路交角は約二九度となり、衝突直前の転舵による約五〇度の変針を考慮すると、その衝突角度は約八〇度と認められる。

以上の事実を認めることができ前掲各証拠中これに反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る的確な証拠はない。

四以上認定の事実によれば、両船は互いに進路を横切る関係にあるが、海上衝突予防法一九条により豊国丸は、日尚丸をその右舷側にみる船舶として、衝突の危険を防ぐため、日尚丸の進路を避けなければならないところ、当時豊国丸の当直者であつた原告は職務上当然なすべき見張義務を怠つたがため早期に日尚丸を発見してその進路を避けることができず、本件衝突に至らしめ、もつて本件海難事故が発生したものと認めるのが相当である。

五そこで以下、これに対する原告の反論について検討する。

原告は、日尚丸が金華山沖から二〇一度の針路(左方への風圧を考慮して一度右に修正したが実際は二〇一度)のまま、変針せずに直航し、〇四三三塩屋埼灯台右舷正横4.8海里に通過し、速力を一二、二三ノツトに増速して〇五二八ころ番所灯台に船首を転じようとしたが豊国丸の進路と交叉する危険を感じ、〇五四一ころ針路を同船とほぼ平行の約二一度とし、〇五四五ないし四六ころまで進行したところ、豊国丸は速力約6.5ノツトの低速のためぐんぐん追いつき右時刻ころ同船の船首または船尾を横切ろうとして左舵一杯となし、約六〇度左転し、〇五四七ころその船首が豊国丸の船首楼右舷側後部に後方より約五六度一五分ないし六〇度の角度で衝突した。右衝突地点は番所灯台より一七七度6.1海里であつて、本件事故は、日尚丸が海上衝突予防法二四条に違反し豊国丸を追越そうとしたことに起因するものであると主張する。しかし、右主張は以下の理由により採用できない。

(1)  日尚丸が金華山沖から二〇一度約10.5ノツトで進行したとすれば、〇四三三ころ塩屋埼約一一一度3.5海里ばかりを通過することにはなるが、同地点から速力を12.23ノツトに増速したことについては、これを認めるに足る証拠はなにも存しない。

(2)  また、甲第三号証の一〇(漁具定置箇所一覧図)によると、三埼の南東方に「のりひび養殖場」が三月から一二月まで設置され、前記認定の日尚丸の針路のままでは、これを横断するようになるけれども、同図にも注記されているように、必ずしも同所にいつでも漁具が敷設されているとは限らないし、右図面以外に本件の当時現実にここに右の「のりひび」が存したことを認めるべき証拠はない、同所付近を日尚丸が通過したのは本件衝突後夜も明けて視界良好になつたころなのであるから その進路付近に「のりひび」は存在していなかつたものと認めるのが相当である。かりに右「のりひび」が存在し、日尚丸がこれを避けて当初の針路二〇一度から小名浜検疫錨地に向うとすれば別紙第二図<略>(ア)(イ)(ウ)各点を結んだ線上から右転するようになるが、日尚丸程度の船舶において通常とられる操船方法による限り、その航路は幾通りも考えられるが、その例示として右各点から小名浜検疫錨地への進路を作図してみると同図(A)(B)(C)のごとくになると考えられるところ、このいずれの場合にあつても豊国丸が日尚丸の進路を横切る関係にあることを示している。原告の主張は日尚丸が12.23ノツトに増速し、番所灯台に向首して右転進行したということを前提とするものであるが、事実に基かないものであるうえ、合理性を欠くものといえよう。

(3)  同様のことは、豊国丸についてもいえることである。すなわち、原告の主張によれば同船は一四日〇一三〇磯埼灯台を左舷側約五海里に通過し、北東微北二分の一北(真方位約二一度、この針路については当事者間に争いがない)速力6.5ノツトで進行中であつたというが、右針路を延長すると塩屋埼沖1.3海里となり、同沖合にある浅深礁(甲第七ないし第九号証の各海図上明白である)上を通過することになるうえ、磯埼通過距離は原告を含め前顕証拠中豊国丸乗組員らの供述記載によると、いずれも約七海里であるし、同船の航程に基づく平均速力は約八ノツトであつたことは前記認定のとおりであるから、所詮右主張も証拠を無視した単なる仮説の域を出るものではない。

(4)  衝突地点についても同様である。原告の主張する衝突地点は番所灯台から一七七度6.1海里であるというが、この点についても、前顕甲第一号証の二、同号証の四、第二、第三号証の各一中原告及び今崎船長の供述記載等において一致しているところすなわち衝突は塩屋埼灯台の南方約六海里の地点で衝突後危険が急迫し、到底小名浜まで行けないので最寄りの中之作に向つたということを無視するのでなければ(原告主張のとおりとすれば小名浜へ避難する筈である)成立しえないものというのほかはない。

(5)  以上述べたように、原告の主張する両船の進路、速力、衝突地点については、すべて日尚丸が追越態勢にあつたとした場合にありうべき諸条件を想定した事実であつて、証拠に基かないものとして到底採用し難いところであるが、日尚丸の追越態勢を窺わせるものとして、わずかに同船の苗代一等航海士の海上保安官に対する供述調書(甲第五号証の一)中、同人の「〇五三〇ころ左約三〇度距離約六海里、〇五四〇ころ左約五〇度距離八〇〇ないし一、〇〇〇米、〇五四四ころ左約八〇度距離三〇〇ないし五〇〇米、〇五四五ころ衝突した」旨の供述記載が存する。しかし右供述に基づき、前記日尚丸の針路を二三〇度速力約10.5ノツトとして、豊国丸の航跡を作図してみると別紙第三図青線のごとくとなり、豊国丸は〇五三〇から〇五四〇までの一〇分間に約四海里を航行したことになるから約二四ノツトの異常な高速力で両舷灯をみせて日尚丸に向首する態勢で北上し、〇五四〇ころ約九〇度激左転して減増速しながら衝突地点に向かうことになるし、また、豊国丸の針路及び速力を前記のごとく北東微北二分の一、約八ノツトとし直進していたものとして日尚丸の航跡を作図してみると同図赤線のごとく日尚丸は衝突の一〇分前に豊国丸の右舷船首から船尾にかけ、約六海里の範囲内のある一点から三〇ないし三五ノツトばかりの高速力で左右に蛇行しながら接近しなければ衝突地点に到達しないこととなつて、いずれも極端な不合理を生ずることになる。したがつて同人の供述中右計数に関する限りは正確なものと解することはできず、おそらく他の漁船の灯火と混同するなどして見誤つた錯誤に基づくものというほかはない。その他原告及び高橋甲板手らの前顕各証拠中の「日尚丸が右舷後方から現われた」旨の供述記載は前記認定のごとき衝突直前の状況に鑑みると突差の場合の印象としては無理からぬ点もあり必ずしも真実に反するものとはいえないがあくまでも衝突直前の印象にとどまり、これをもつて前から追越関係にあつたことを認定するに足りる証左とはなしえない。のみならず、前記のように衝突角度は約八〇度であつたが、これを原告主張のように約六〇度としても、日尚丸が豊国丸を追越す態勢にあつたとすれば、日尚丸が衝突直前に左転するか、または、豊国丸が右転するか、あるいは両船とも同時に右のごとき転舵をするのでなければ、右角度で衝突する事態は生じえないと考えられるところ、前顕各証拠中、両船関係者らの供述記載によると、かえつて衝突直前日尚丸は右転、豊国丸は左転の措置を講じていることが明らかであるから、この点からみても日尚丸が追越態勢にあつたことを認めることはできない。その他前記認定を覆して本件海難事故が日尚丸の不当追越に基づくものであることを認めるに足る証拠はない。

六結論

以上説示のように本件事故は豊国丸が海上衝突予防法一九条に違反する操船を行つたがために発生したものであり、当時同船の当直者として操船に当つていた原告が職務上尽すべき見張義務を怠つた点に責任があることは明らかであり、これと結局において同旨の見解のもとに同人に対し業務を一か月停止する旨の懲戒処分を宣告した本件裁決にはなんら違法のかしはないというべきであるから、これが取消を求める原告の本訴請求は失当として棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(浅沼武 加藤宏 園部逸夫)

裁定書(昭和四十三年第二審第一四号)<省略>

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